調査日:平成27年2月7日
調査地:雲曜五窟(雲崗石窟第16~20窟)他(山西省大同市)

(1)資産概要
 雲崗石窟は中華人民共和国山西省大同市に所在する世界文化遺産で、2000年に推薦書が提出、2000年に、世界遺産一覧表に記載されている。
 大同市の西方16キロメートルに位置し、東西に約1キロメートルに渡り石窟が存在している。252の様々な石窟と51,000体以上の仏像彫刻からなる。
 雲崗石窟は約1500年前の北魏王朝の時代に開かれた。北魏代の和平元年(460)、沙門統(宗教長官)に就任した僧侶・雲曜(どんよう)が時の文成帝に上奏し、文成帝までの5人の皇帝を供養するために石窟を開くことになったことが始まりである。
「鎌倉」の資産が、大仏、やぐらの中国から日本への伝播、東アジア文化圏内での価値観の交流を示すものであることを検証する資料等を収集するために、現地調査を行ったものである。
 評価基準はⅰ)、ⅱ)、ⅲ)、ⅳ)により登録されている。

【主な構成資産】

 雲崗石窟 参道 その2(雲崗石窟 参道 その2)

雲崗石窟 参道 その3(雲崗石窟 参道 その3)

雲崗石窟 第3窟 その1(雲崗石窟 第3窟 その1)

雲崗石窟 第3窟 その2(雲崗石窟 第3窟 その2)

雲崗石窟 第3窟 その3(雲崗石窟 第3窟 その3)

雲崗石窟 第16窟 その1(雲崗石窟 第16窟 その1)

雲崗石窟 第16窟 その2(雲崗石窟 第16窟 その2)

雲崗石窟 第16窟 その3(雲崗石窟 第16窟 その3)

雲崗石窟 第16窟 その4(雲崗石窟 第16窟 その4)

雲崗石窟 第19窟 その1(雲崗石窟 第19窟 その1)

雲崗石窟 第19窟 その2(雲崗石窟 第19窟 その2)

雲崗石窟 第19窟 その3(雲崗石窟 第19窟 その3)

雲崗石窟 第19窟 その4(雲崗石窟 第19窟 その4)

第20窟 正面遠景(雲崗石窟 第20窟 正面遠景)

第20窟 正面(雲崗石窟 第20窟 正面)

第20窟 左側面(雲崗石窟 第20窟 左側面)

第20窟 頭部拡大(雲崗石窟 第20窟 頭部拡大)

(2)調査結果
ア 大仏の伝播について
・インドから中国への仏像の伝播において、インドや中央アジアの影響を受けながら、中国史上初めて国家事業として大規模な石窟群であり、「皇帝即如来」という思想を表している資産として、特徴を有している。初期から中期にかけて、丸顔、肥満形、薄手の衣から、面長、痩せ形、厚手の衣の様式が変わり、仏像の漢民族化、双窟の出現による様式の変化(祖霊供養の意味合いを失う)などを確認し、顔、衣等の点での鎌倉大仏との相違点等を確認した。

イ 資産の管理保全状況等について
・入場口、チケットセンター、雲崗石窟までの参道などが非常に整備されていることを確認した。(但し、整備については国家文物局より意見があったようである。)「雲崗石窟 西暦五世紀における仏教寺院の考古学的調査報告」(昭和26年~31年刊行・水野清一ほか)当時の写真と比べると、磨耗が進んでいるが、反対に、第20窟本尊の胴体部分などでは、当時欠けていた部分が修復されているなど、修復されている部分も多い。石窟の外壁表面部分はモルタル等で固めているところが多く、風化を保護していることも確認した。

第20窟 胴体部分(雲崗石窟 第20窟 胴体部分)

まとめ:
 「鎌倉」の資産と実地において調査・比較を行うことにより、「鎌倉」の新たなコンセプトの策定に向けて、下記の点に関する基礎的な資料・知見の収集を行うことが出来た。

・「鎌倉」の資産が、大仏、やぐらの中国から日本への伝播、東アジア文化圏内での価値観の交流を示すものであることを検証するための資料の収集

 また、資産の実際の保全管理状況、観光圧力への対応、来訪者への資産の価値の伝達方法等について確認し、「鎌倉」の今後の保全管理等の検討への基礎的な資料・知見の収集を行うことが出来た。