調査日:平成27年2月4日~2月5日
調査地:賓陽三洞、磨崖三仏、万仏洞、奉先寺洞他(河南省洛陽市)
(1)資産概要
龍門石窟は中華人民共和国河南省洛陽市に所在する世界文化遺産で、1999年に推薦書が提出、2000年に、世界遺産一覧表に記載されている。
中国の歴史的都市である洛陽市の南方12キロメートルに位置し、伊川の両岸の丘の斜面に約1キロメートルに渡り石窟が存在している。東西に2,345窟にのぼり、約10万体の仏像彫刻を有する。丘は石灰岩から成り、繊細な表現が可能となっている。
龍門石窟は約1500年前の北魏王朝の時代に開かれた。北魏王朝は北方の遊牧民族で、当初、平城(現山西省大同市)郊外に雲崗石窟を開いた。その後、第六代皇帝孝文帝の太和18年(西暦494年)に洛陽に遷都が行われ、龍門石窟が開かれたのもこの頃と言われている。
「鎌倉」の資産が、大仏、やぐらの中国から日本への伝播、東アジア文化圏内での価値観の交流を示すものであることを検証する資料等を収集するために、現地調査を行ったものである。
評価基準はⅰ)、ⅱ)、ⅲ)により登録されている。
【主な構成資産】
(2)調査結果
ア 大仏の伝播について
・インドから中国への仏像の伝播において、雲崗石窟に引き続き作られている。堅い石灰質岩を生かして、雲崗石窟と比べて繊細な表現となっている。北魏代から唐代にかけて、顔つきがふくよかに変化していることなどを確認し、顔、衣等の点での鎌倉大仏との相違点等を確認した。
イ 資産の管理保全状況等について
・柵の設置等により、資産は保護されているが、龍門石窟の研究(昭和16年刊行・水野清一ほか)当時の写真と比べ、一部は磨耗が進んでいることが確認された。主要な洞には中、英、日、仏、韓の多国語の解説パネル(手で持てる程度の大きさ)を置いてあり、資産の価値の伝達にも配慮していることを確認した。また、入場後は一方通行となっており、観光者の動線に配慮されていることを確認した。
ウ 意見交換結果
・龍門石窟研究院で意見交換を行い、インド、中国、鎌倉への石窟文化の東漸の可能性や、やぐらとの比較対象として瘞窟(いくつ:石窟の一種)が参考になること、中国国内の他の比較対象について確認した。
まとめ:
「鎌倉」の資産と実地において調査・比較を行うことにより、「鎌倉」の新たなコンセプトの策定に向けて、下記の点に関する基礎的な資料・知見の収集を行うことが出来た。
・「鎌倉」の資産が、大仏、やぐらの中国から日本への伝播、東アジア文化圏内での価値観の交流を示すものであることを検証するための資料の収集また、資産の実際の保全管理状況、観光圧力への対応、来訪者への資産の価値の伝達方法等について確認し、「鎌倉」の今後の保全管理等の検討への基礎的な資料・知見の収集を行うことが出来た。